2008 年 7 月 のアーカイブ

6日目: 美しい草原を目指して陸と空で大移動 結果は・・・

2008 年 7 月 31 日 木曜日

さて、今回のロケでぜひ撮影したいもの。それが美しい草原と遊牧民です。オルドスやフフホト周辺にはあまり残っていないため、私たちは内モンゴル北部、ロシア、モンゴル国との国境付近にある町ハイラルを訪れることにしました。坂本さんとはこの日の朝から別行動です。8時半にホテルを出発、当初の予定では300キロ離れた東勝まで行って、翌日ハイラルに行くつもりでしたが、今日中に行ってしまおうということになり大移動が始まりました。フフホトまでは約700キロ、そこまで車で行って、さらに2時間飛行機での移動です。車中では金さんがずっと電話でやり取りしています。聞いているとどうやら宿がなくて大変なようです。日本でも今内モンゴルの草原ツアーは旅行代理店の多くが企画する人気商品、中国国内の旅行社のツアーもたくさんあってまさに8月は観光客のかき入れ時なのです。ハイラルから離れればあるようですが今日は着くのが遅いしこれ以上の移動は体力的にも大変なので何とか探したいところです。


すべてがきらびやかなハイラルの町

とにもかくにも約12時間2000キロの旅の末、ハイラルの町に到着、北緯49度。日本で言えば北海道の稚内が45度くらいですからかなり北です。冬にはマイナス40度以下になるといいます。さすがに夏でも涼しくて夜は半袖だと少し寒いくらいです。着いたのは夜だったのですが、町中がネオンで溢れかえっています。電力不足が国家の問題となっている中でどこもかしこもパチンコ屋のようなネオンです。市政府の建物までど派手なネオンで彩られています。きれいといえばきれいなのですが日本人の感覚では「ちょっとやりすぎ」です。


2つ星

これから4日間お世話になる運転手さんたちが探してくれた宿に到着しましたが、空港からの道で見た5つ星、4つ星のホテルとは似ても似つかない薄暗いホテルでした。星を確かめると何と2つ。地方の2つ星と聞けば中国に詳しい方は分かると思いますが、もはやお湯が出ることなど期待できません。しかも5階建てですがエレベーターがありません。不幸中の幸いで2階に一部屋だけ空いていたのでカメラマンの増田氏をその部屋にして機材をすべて入れ、他の者は全員5階です。部屋にはベッドが2つ。でも幅が60センチぐらいしかありません。寝返りを打ったら落ちそうです。タオルは何日も換えていないのでしょう。かなり汚れています。部屋の中にはハエやゴキブリの子供。布団に入るのは恐いので(確実にダニがいそうなので)ジーンズをはいたまま布団の上に寝ました。


写真ではすごさが伝わらない・・・

と、まあ中身もひどいのですが何がビックリしたかというとこの部屋で何と1泊580元。(日本円で約9000円)580元といえば地方都市の5つ星に泊まれる値段です。おそらく普段は100元ぐらいだと思います。足元を完全に見られていますがもう他を探すあてもなく、渋々納得。そんなホテルでもこの日はさすがに疲れていてすぐに寝入ってしまいました。

5日目: おじいさんとの別れ

2008 年 7 月 30 日 水曜日

天気はすっきりしていませんが、全員二日酔いもなく集合し、まずは移民村へ。トゥヤさんとアイラゴンちゃんが迎えてくれました。プルダさんは昨夜のうちにおじいさんのところに行って留守です。いつもは旦那がいるので少し遠慮しながら話すトゥヤさんですが、この状況ならきっといろいろ話してくれるに違いありません。移民村に移ることを初めて聞いたときの心境?お父さんとはその時どんな話をしたのか?1人残してくることにためらいはなかったか?さらには放牧のないここの生活に満足しているのか?放牧はモンゴル族の文化ではないのか?といった本質的な部分にまで踏み込んで聞いてみました。前回プルダさんに聞いた時は、黙り込んでしまったのですがトゥヤさんはしっかり自分の思いを話してくれました。(詳しい内容は番組で)

午後はおじいさんの家に移動、砂漠の道を走っていくと途中で天然ガスの開発が行われていました。今ウーシン旗は天然ガスバブルともいえる開発ラッシュで、急成長しています。その波はおじいさんの住む砂漠のすぐそばにまでやってきていました。


おじいさんの家 周りには美しい花と草原


4月何もなかった土地がこんなに美しく

おじいさんの家に着くとまずはあまりの草原の美しさにビックリ、4月の時は何もなかったところが見事に色とりどりの花と草、そしてそこに放たれた羊たちで埋め尽くされています。おじいさんがこの地を離れたくない気持ちが分かったような気がしました。天気がよければさらに美しい景色が見れたのでしょうが・・・おじいさんはいつものようにオーバーアクションで歓迎してくれます。前回トウモロコシの根っこを拾っていた場所は一面トウモロコシ畑に、その他、ネギやジャガイモも作っています。それを使って昼食を作ります。これぞ完全な自給自足。収入が少なくてもやっていけそうです。


外で調理を撮影


ホイツァイを作る

息子のプルダさんは父親であるおじいさんに移民村に来るよう勧めていますが、やはり彼の意思は固く「何年かしてどうしようもなくなったらいくよ」という答え。しかし見事な草原もその回りには砂漠が広がっています。果たして禁牧でこの回りの砂漠は草原に戻るのでしょうか?

取材が終わりいよいよおじいさんとお別れです。アポなしで突然訪ねてくる異国の撮影隊をいつも大歓迎してくれたおじいさん。もう会うこともないかと思うとちょっと寂しい気持ちになります。1人ずつおじいさんと一緒に写真を撮って出発しました。いつか息子さん家族と暮らす日がくることを祈ります。


みんなが大好きなおじいさんと記念撮影

再びウーシン旗へ移動、移動中、テレビ大阪本社の田中報道スポーツ局長から電話が。海外にいて日本から電話がある時は大体がよくないことなので一瞬の間にいろんなことが頭をよぎりましたが、実は去年のシリーズ第1弾、「甦るシルクロードの大地~中国・新疆ウイグルへの夢~」が※第4回日本放送文化大賞の近畿地区審査の結果、中央審査提出番組に決定したといううれしい知らせでした。前回もほぼ同じスタッフだったのでみんな大喜び。中央審査の発表は10月28日です。

夜は再びダプ局長たちとの宴会。しかし昨日の疲れがみんな残っていて全く盛り上がらず。ダプ局長も途中で退席し、お開きとなりました。明日からは大移動が待っているので早めに就寝です。

※注
日本放送文化大賞とは、日本民間放送連盟が、質の高い番組をより多く、制作・放送することを促すことを目的に、2005(平成17)年に制定した賞。 視聴者・聴取者の期待に応えるとともに、放送文化の向上に寄与した”と評価される番組を顕彰し、グランプリ1番組、準グランプリ1番組を選定。
全国7地区で地区審査を行い、中央審査に提出する候補1番組(グランプリ、候補番組)を選考した後、中央審査にてグランプリおよび準グランプリを決定。

4日目: 4月の植林の成果は?

2008 年 7 月 29 日 火曜日

朝、7時過ぎに起床。ナレンファさんはすでに起きています。昨夜の宴会は深夜1時ごろまで続いたそうです。昨日とはうって変わって快晴、みんなの大好物ホイツァイ(モンゴル風肉じゃが)を食べ砂漠へ。今日の撮影のメインは4月に植林した木や草がどれだけ根付いているか?それを見に行った坂本さんとナレンファさんの反応です。

前回と違い、今回の車は普通のワンボックス、当然砂漠の奥深くには入っていけず手前で止めて歩きます。乾燥していて気温もそれほど高くないのですが、太陽が皮膚にじりじり焼け付いてくるような感じです。

そして植林の場所に到着、楊柴はかなりの定着率のようで去年植えたものはきれいな花を咲かせています、乾柳という棒のような木は雨が少ないこともあり結構枯れているように見えました。それでも定着している木からは緑の葉が生き生きと伸びています。この状況を考えると私たちを悩ませた昨日の雨も、実は恵みの雨だったのかもしれません。


草地がかなり回復


坂本さんのインタビュー

植林活動について坂本さんのインタビューを撮り終え、なぜかついてきた70年代の古いジープの荷台に取材班と坂本さんの計6人が乗って砂漠道を走りました。何キロか行ったところで停車、植林後成長した沙柳、野生のサージをみてから草がひざの高さまである草地に入っていきました。ナレンファさんにインタビューすると「30年ほど前はオルドスにはこんな草地がたくさんあった」とのこと。この草地も周りを取り囲むように砂漠が迫っていました。


1970年代のジープ


荷台にすし詰め


エンジンに直接水をかけて冷やす

ナレンファさんの家に戻り、馬をたくさん飼っている隣人の牧民を一緒に訪ねました。中に入るとこの家の奥さんと、ご主人らしき人が座敷の真中にドンと座っています。ナレンファさんが親しげに話しているので会話を撮影。しかしよく見ると部屋の隅で寝転がっている人がいます。「この人は誰ですか?」ときくと「この家の主人だ」。「では、あなたは一体?」どうやらご主人はナーダムの宴会の続きを午前11時までやっていたらしく酔っ払って寝ているようです。ついさっき訪ねてきた友人が上がりこんでいたのでした。この村の人口は約500人、ほとんどすべての人が顔見知りなのでしょうが、たとえ知らない人でもすぐに家に上がり込んだり、仲間の輪に入って旧知の友人のように振舞ったり、現代日本では失われてしまった世界がそこにはありました。

午後はナレンファさんの家を後にしてウーシン旗の生態移民村に移動です。途中の道は前回来たときにはほとんど土色の世界だったのですが、わずか3ヵ月半で結構緑が目立っていました。禁牧の成果が出ているのでしょうか?6時ごろ移民村に到着、前回も取材したプルダさん、トゥヤさん夫婦と娘のアイラゴンちゃんを訪ねるとプルダさんは今から砂漠に残るお父さんのところに手伝いに行くのだそうです。アイラゴンちゃんは少し見ないうちに成長して女の子らしくなっていました。明日の取材のOKをもらった後は、恒例のダプ自然保護局長との宴会です。ここまでは何とか白酒をそれほど飲まずに逃げてきましたが今日はそうはいきません。


恒例 ダプ局長主催の宴

7時半から始まった宴会は最初こそ静かに語らっていましたが、歌手などがやってくると次第に盛り上がり、やや体調が悪かった私も飲めば飲むほど体が楽になるという不思議な現象に見舞われどんどん調子よくなっていきます。


がんばる児島記者と清水氏

児島記者も前回(4月)の教訓で無茶飲みはしていません。ふと横を見ると坂本さんは白酒(38度)のきつい味を消すためにビールを飲んでいます。さすが!(私たちはコーラです)

宴は2次会に入り近くのバーに。気がつくとダプ局長が帰り、さすがの坂本さんもやはりチャンポンが効いてきたのかホテルへ。午前1時ごろ最後に残った私と児島記者もホテルに、何とかこの夜を乗り切りました。 (金さんはまだどこかで飲んでいたようですが)