‘2008年7月~8月 ロケ’ カテゴリーのアーカイブ

7日目: 初めて見た本物の遊牧民!

2008 年 8 月 1 日 金曜日


これぞ草原

今日は朝からハイラルの南200キロにあるモンゴルとの国境の町シンバルフ左旗まで移動です。昨日の到着時はすでに日が暮れていたのでよく分かりませんでしたが、出発してしばらくすると辺り一面どこを見ても草原地帯です。どこまでいっても草原なのでどこで撮影したらいいのか迷うほどです。何時間か経ったとき、遠くに遊牧民のパオが見えました。


遊牧民族のパオ

ガイドに聞くと本当の遊牧民だとのこと。これまでにも観光用につくられたパオは何度も見たことがありますが、本当の遊牧民が住むものは初めてです。撮影をおねがいすると快くOKしてくれました。中に入ると意外にもテレビやDVDプレーヤー(電気は風力)もあり、文明化されています。パオは2つあって、新しいほうは息子のものだそうです。


パオの中は近代化 テレビやDVDも

インタビューするとこのパオは3月に作ったものだそうです、冬が来るとたたんで遠く離れたレンガ造りの家で春になるまで寒さをしのぐのだそうです。このパオをたった1時間半ほどで作ってしまうというから驚きです。ここに住んでいる老夫婦は小学校の同級生だったそうです。何十年も2人で遊牧生活をしてきた老夫婦の仲睦まじい様子をみて何だか少し感動しました。


仲睦まじい遊牧の老夫婦

さて、一見すると美しい草原が広がるこの地にも、やはり砂漠化の影響が出てきています。老夫婦によると草の背丈が以前よりも低くなっているうえ、羊が食べる草の量も減っているのだそうです。そういえば道端には「退牧還草」という看板があちこちに建てられています。これは「放牧を減らして草地を回復させよう」という政府のスローガンです。ここもこのまま放って置けばいつかあのオルドスの沙漠のようになってしまうのでしょうか?

途中、羊の群れなどを撮影しながら夕方近くに到着。最高に美しい草原の夕景を見ることができました。増田カメラマンも児島記者も(私もですが)撮影ほったらかしで写真を撮りまくりました。ぜひもう一度見たい風景です。


夕日の中を牛の行進


夕景に光る草原

昼間、ナレンファさんから金さんに電話がありました。7日、8日は会議でいないという内容です。本来は7日と8日にナレンファさんの放牧の様子を撮らせてもらう予定で、これがないと禁牧が解けた後の映像がなくなってしまいます。政府の横槍かと疑いましたが、坂本さんにお願いして裏を取ってもらうと、どうやら本当に7日から11日まで東勝で会議があるようです。そこで急遽予定を変更、ここでの撮影を1日早く切り上げて5日にナレンファさんの家に行くことに。ちょっとあせりましたがどうにか一件落着。

6日目: 美しい草原を目指して陸と空で大移動 結果は・・・

2008 年 7 月 31 日 木曜日

さて、今回のロケでぜひ撮影したいもの。それが美しい草原と遊牧民です。オルドスやフフホト周辺にはあまり残っていないため、私たちは内モンゴル北部、ロシア、モンゴル国との国境付近にある町ハイラルを訪れることにしました。坂本さんとはこの日の朝から別行動です。8時半にホテルを出発、当初の予定では300キロ離れた東勝まで行って、翌日ハイラルに行くつもりでしたが、今日中に行ってしまおうということになり大移動が始まりました。フフホトまでは約700キロ、そこまで車で行って、さらに2時間飛行機での移動です。車中では金さんがずっと電話でやり取りしています。聞いているとどうやら宿がなくて大変なようです。日本でも今内モンゴルの草原ツアーは旅行代理店の多くが企画する人気商品、中国国内の旅行社のツアーもたくさんあってまさに8月は観光客のかき入れ時なのです。ハイラルから離れればあるようですが今日は着くのが遅いしこれ以上の移動は体力的にも大変なので何とか探したいところです。


すべてがきらびやかなハイラルの町

とにもかくにも約12時間2000キロの旅の末、ハイラルの町に到着、北緯49度。日本で言えば北海道の稚内が45度くらいですからかなり北です。冬にはマイナス40度以下になるといいます。さすがに夏でも涼しくて夜は半袖だと少し寒いくらいです。着いたのは夜だったのですが、町中がネオンで溢れかえっています。電力不足が国家の問題となっている中でどこもかしこもパチンコ屋のようなネオンです。市政府の建物までど派手なネオンで彩られています。きれいといえばきれいなのですが日本人の感覚では「ちょっとやりすぎ」です。


2つ星

これから4日間お世話になる運転手さんたちが探してくれた宿に到着しましたが、空港からの道で見た5つ星、4つ星のホテルとは似ても似つかない薄暗いホテルでした。星を確かめると何と2つ。地方の2つ星と聞けば中国に詳しい方は分かると思いますが、もはやお湯が出ることなど期待できません。しかも5階建てですがエレベーターがありません。不幸中の幸いで2階に一部屋だけ空いていたのでカメラマンの増田氏をその部屋にして機材をすべて入れ、他の者は全員5階です。部屋にはベッドが2つ。でも幅が60センチぐらいしかありません。寝返りを打ったら落ちそうです。タオルは何日も換えていないのでしょう。かなり汚れています。部屋の中にはハエやゴキブリの子供。布団に入るのは恐いので(確実にダニがいそうなので)ジーンズをはいたまま布団の上に寝ました。


写真ではすごさが伝わらない・・・

と、まあ中身もひどいのですが何がビックリしたかというとこの部屋で何と1泊580元。(日本円で約9000円)580元といえば地方都市の5つ星に泊まれる値段です。おそらく普段は100元ぐらいだと思います。足元を完全に見られていますがもう他を探すあてもなく、渋々納得。そんなホテルでもこの日はさすがに疲れていてすぐに寝入ってしまいました。

5日目: おじいさんとの別れ

2008 年 7 月 30 日 水曜日

天気はすっきりしていませんが、全員二日酔いもなく集合し、まずは移民村へ。トゥヤさんとアイラゴンちゃんが迎えてくれました。プルダさんは昨夜のうちにおじいさんのところに行って留守です。いつもは旦那がいるので少し遠慮しながら話すトゥヤさんですが、この状況ならきっといろいろ話してくれるに違いありません。移民村に移ることを初めて聞いたときの心境?お父さんとはその時どんな話をしたのか?1人残してくることにためらいはなかったか?さらには放牧のないここの生活に満足しているのか?放牧はモンゴル族の文化ではないのか?といった本質的な部分にまで踏み込んで聞いてみました。前回プルダさんに聞いた時は、黙り込んでしまったのですがトゥヤさんはしっかり自分の思いを話してくれました。(詳しい内容は番組で)

午後はおじいさんの家に移動、砂漠の道を走っていくと途中で天然ガスの開発が行われていました。今ウーシン旗は天然ガスバブルともいえる開発ラッシュで、急成長しています。その波はおじいさんの住む砂漠のすぐそばにまでやってきていました。


おじいさんの家 周りには美しい花と草原


4月何もなかった土地がこんなに美しく

おじいさんの家に着くとまずはあまりの草原の美しさにビックリ、4月の時は何もなかったところが見事に色とりどりの花と草、そしてそこに放たれた羊たちで埋め尽くされています。おじいさんがこの地を離れたくない気持ちが分かったような気がしました。天気がよければさらに美しい景色が見れたのでしょうが・・・おじいさんはいつものようにオーバーアクションで歓迎してくれます。前回トウモロコシの根っこを拾っていた場所は一面トウモロコシ畑に、その他、ネギやジャガイモも作っています。それを使って昼食を作ります。これぞ完全な自給自足。収入が少なくてもやっていけそうです。


外で調理を撮影


ホイツァイを作る

息子のプルダさんは父親であるおじいさんに移民村に来るよう勧めていますが、やはり彼の意思は固く「何年かしてどうしようもなくなったらいくよ」という答え。しかし見事な草原もその回りには砂漠が広がっています。果たして禁牧でこの回りの砂漠は草原に戻るのでしょうか?

取材が終わりいよいよおじいさんとお別れです。アポなしで突然訪ねてくる異国の撮影隊をいつも大歓迎してくれたおじいさん。もう会うこともないかと思うとちょっと寂しい気持ちになります。1人ずつおじいさんと一緒に写真を撮って出発しました。いつか息子さん家族と暮らす日がくることを祈ります。


みんなが大好きなおじいさんと記念撮影

再びウーシン旗へ移動、移動中、テレビ大阪本社の田中報道スポーツ局長から電話が。海外にいて日本から電話がある時は大体がよくないことなので一瞬の間にいろんなことが頭をよぎりましたが、実は去年のシリーズ第1弾、「甦るシルクロードの大地~中国・新疆ウイグルへの夢~」が※第4回日本放送文化大賞の近畿地区審査の結果、中央審査提出番組に決定したといううれしい知らせでした。前回もほぼ同じスタッフだったのでみんな大喜び。中央審査の発表は10月28日です。

夜は再びダプ局長たちとの宴会。しかし昨日の疲れがみんな残っていて全く盛り上がらず。ダプ局長も途中で退席し、お開きとなりました。明日からは大移動が待っているので早めに就寝です。

※注
日本放送文化大賞とは、日本民間放送連盟が、質の高い番組をより多く、制作・放送することを促すことを目的に、2005(平成17)年に制定した賞。 視聴者・聴取者の期待に応えるとともに、放送文化の向上に寄与した”と評価される番組を顕彰し、グランプリ1番組、準グランプリ1番組を選定。
全国7地区で地区審査を行い、中央審査に提出する候補1番組(グランプリ、候補番組)を選考した後、中央審査にてグランプリおよび準グランプリを決定。