‘2008年4月 ロケ’ カテゴリーのアーカイブ

これが万里の長城!

2008 年 4 月 13 日 日曜日

いよいよ今日から本格ロケ開始!気候も天気も最高です。朝、お世話になったスチントウさんと校長先生が帰って行きました。今回のロケはほとんどがスチントウさんの人脈頼りなので急に心細くなる取材班。ところが思わぬところに強力な助っ人がいました。ここからはダプ局長が用意してくれた2台の運転手つきの車(もちろん有料です)で移動、うち1人、モンゴル族の運転手がすごい。おっさんに見えて年は児島記者とタメ(同い年)の30歳(以後取材班の中ではタメちゃんと呼ぶ)、好奇心旺盛でカメラに異常な興味を示すは、夜中じゅう公安と一緒に張り込みをして木泥棒(植林の木を盗んで売る輩がいるんです)を捕まえるは、とにかく素性がわからない。さらには100匹の豚を飼っていて、価格高騰ですごく儲けているらしいということまで判明。


揄林の万里の長城


土でできた万里の長城にて

さて、まずは万里の長城へ。といっても北京郊外で見られるような立派なものではありません。万里の長城は秦の始皇帝が作らせたものですが、今残っているのは明代につくられたものが多いのです。最強と言われたモンゴルの騎馬民族は非常に恐れられていて、万里の長城の北側の大部分が内モンゴルになっていることからも騎馬民族の進入を防ごうと必死になっていたことが伺えます。私たちが行ったのはウーシン旗から南東に車で2時間、内モンゴルを少し出た陝西省の揄林にある長城です。大部分が土でできていて大きな土壁といった感じです。それにしても全長6000キロの長城を造るのにどれだけの労力を費やしたのでしょう?そしてどれだけの効果があったのか?考えさせられます。


移民村 プルダさんの家

午後からはウーシン旗に戻りロケハンの時に取材した3人家族を取材。無口なお父さん(プルダさん37)と、中国語がうまいしっかりものの奥さん(トゥヤさん35)そして4歳になる娘さん(アイラゴンちゃん)いつも突然の訪問なのですが嫌がることもなく淡々としています。明日、あさっての取材の内容を話し夕飯シーンを撮影。何を作るのかトゥヤさんに聞くと、「何も作らないよ」との返事、冗談と思ってみていると、本当に卵炒めとご飯だけのとても質素な食事でした。今日は特に問題もなく平凡に(ロケ的には困るのだが)1日が過ぎていきました。そして夜はウーシン旗の中華料理店で酒のない食事。酒がないということだけでみんな元気が出てくるのです。でもたぶん明日からは・・・ 明日も同じ場所のロケです。


料理するトゥヤさんと娘のアイラゴンちゃん

初日からいきなり700キロ走破!

2008 年 4 月 12 日 土曜日

4時起き!一応シャワーも浴びて万全の体制で5時出発、国内線なので虹橋空港へ。金さんが特別に作ってもらったという東方航空のゴールドメンバーカードのおかげで(金さんの預け荷物の制限が50キロに。一般人は20キロまで)オーバーチャージ(重量超過料)なしで切り抜けました。予算管理上これは非常にうれしい。中国ロケの最大の難点はいつどこでお金がいるかなかなか読めないところです。取材のために突然現金が必要になる場合もあるのでこうした節約が、予期せぬ出費が出たときに役に立つのです。ゴールドカードはさらに威力を発揮。本人以外に1人だけファーストクラスラウンジに入ることができるのです。年の順で当然私が入ります。入れない増田、清水、児島の三名を尻目に豪華?ラウンジでパン一切れとコーラを飲んで過ごす事たったの5分、もう時間だ!いざ出発ゲートへ。するとここで偶然金さんの同級生の妹が空港職員として働いていました。20年ぶりとか話しをしているかと思ったらいつの間にか私たちはVIP用のバスに乗せられ飛行機まで運ばれた。。改めて人脈社会中国を目の当たりにしました。


内モンゴルの首府 フフホトの町 黄砂が舞う


フフホトで見たドラえもん?


フフホトの町

そして離陸、取材班5名は内モンゴルの首府フフホトへ、所要時間は2時間半。午前9時半フフホトに到着しました。初めてのフフホトは予想通りかなり発展した町でしたが黄砂のせいで町がかすんでいて自転車に乗った人の多くがマスクをしています。空港までは前回もお世話になったスチントウさんが迎えに来てくれていました。彼は坂本さんの知り合いのモンゴル族で日本語もかなり上手です。もう1人はスチントウさんの友人の小学校の校長先生、土日は休みだからと車を出してくれました。このあととてつもない距離を運転させられるとは予想していなかったでしょうが・・・ フフホトで街の様子を撮影した後、乗用車2台で一路西へ、次の目的地黄河へと向かいます。途中のドライブインで昼食、何でもうまいうまいと食べる児島記者(確かにうまいが)7人でたらふく食べて2500円という値段にも驚いた様子でした。


水量の少ない黄河

フフホトから車で高速道路を3時間弱、包頭市からオルドス市へ入る際に黄河を越えます。オルドスは内モンゴルで唯一黄河の南にある地域なのです。いよいよ渡る時がやって来ました。とりあえず橋の真中まで行って川を撮影、ところが水量が少ないせいか思ったより川幅は狭く感じました。大河というには微妙な感じです。長江に比べて明らかに水が少ないです。前回来たときに市民がみんな「昔より雨が減った」と言っていたのを思い出しました。地球温暖化の影響か下流では断流(川が途切れること)も起きているといいます。。。

当初この日はここから約200キロの東勝に泊まり、翌日、土壁の万里の長城を経由でウーシン旗に入る予定でしたが、ここで金さんから提案。「きょうはウーシン旗の環境保護局長が夕食を一緒にと言っているので一気に行ってしまいましょう」とのこと。ウーシン旗まではここからさらに400キロ。フフホトからだと700キロ以上だ。いくら距離感覚の違う中国人でも(200キロぐらいまでは「すぐそこ」という)さすがに遠くないか??という心配をしながらもスチントウさんと校長先生にさらなる運転をお願いしました。快く引き受けれくれるのが逆に申し訳ない気にさせます。。


黄河を眺める 音声・清水氏


美しい夕景の撮影

途中美しい夕日を撮影、去年はあんなにも苦労して結局撮れなかった夕景が今年は初日に撮れるとは・・(涙) そして午後7時ようやくウーシン旗に到着、予想外にホテルがきれいで驚きました。スチントウさん、校長先生「辛苦了~(お疲れ様)」そして当然のように白酒が待っていました。この日はかろうじて全員無事のまま就寝。明日からいよいよ本格ロケ開始!


宴席で挨拶


大歓迎の印 羊料理

モンゴル族が放牧を棄てる日。迫り来る砂の脅威 ロケへの旅立ち

2008 年 4 月 11 日 金曜日

いよいよロケに出発。日本からは増田カメラマン、音声清水氏、私、そして児島記者の4名でまずは上海へ。いつもどおり、JALやANAを羨望の眼差しで見つめながら中国国際航空のカウンターへ。思いがけずすいています。これも毒入り餃子ショックの影響なのでしょうか?飛行機の中もSARSの時以来のガラガラぶりです。

(SARSの最盛期、2003年4月に最も被害の出ていた香港支局に赴任、その時のANAの機内は私を入れて客はわずか4人だった。CAがマンツーマンでした) さて、中国時間の午後2時過ぎ上海に到着、児島記者は初の中国です。私にとっては日常だった風景にもいちいち「すごいですね~」と反応し面白い。増田、清水両氏はさすがにもはや少々のことでは驚きません。この日は上海で宿泊、コーディネーター兼ボディガードの屈強な金さん(K-1ファイター 180cm 100kg 私が上海支局長の時代からの友人)と合流し、支局の時からお世話になっている上海外弁のKさんも交えて夕食会が開かれました。3月にチベット暴動が起きて以降、少数民族と日本人(外国人)との接触には中国政府は非常に敏感になっています。去年番組を作った新疆ウイグルは今年は取材不可能な状態になっていますし、2週間ほど前には坂本さんの植林にも待ったがかかっていました。モンゴル族と外国人との接触を嫌がったからだと思われます。植林でさえNOなのに取材に許可が出るはずかなく、実はかなりあせっていたのですが坂本さんが抗議してくれた結果植林はなんとかOKに、取材についても何とかOKになりました。ということで大変お世話になっている方々と会食そして夜の街へ・・・それぞれの思いを胸にホテルに帰ったのは午前1時すぎ。明日は4時起きなのです。。。いよいよ明日、いや今日は内モンゴル!!