‘2008年4月 ロケ’ カテゴリーのアーカイブ

いざ!植林

2008 年 4 月 19 日 土曜日


植林隊の記念撮影


坂本さんとナレンファさん

朝から雨が降りそうな暗い空。昨日は雨も降り地面はすこし軟らかく植林にはもってこいの天気です。(撮影は晴れの方がいいですが)植林場所のウランダワ砂漠につくと記念撮影、そして植林開始、土の中に埋めるだけでいい楊柴(ヤンチャイ)を中心に中国人と日本人が組みになって植えていきます。あちこちで楽しそうな声が聞こえます。これぞ日中友好。3年前からこの場所で植林を始めた坂本さん。3年前に植えた草や木はもうかなり大きく育っていますが、半分ぐらいまで砂で埋まっているところもあり、止まっているようでも砂が動いているのがよく分かりました。6000ヘクタールの砂漠をあと7年かけてすべて緑化するのが目標だそうです。この場所で包局長にインタビュー、30年前は緑の地だったこの場所を元に戻そうという強い意識が感じられます。最初はあまり関心のなかった牧民たちも今では「日本人がわざわざ植林してくれているのだから俺たちもやろう!」と言うまでになっているとか。「坂本さんがいなければ緑化活動はなかっただろう」とも話していました。植林は休憩をはさんで午後4時まで行われました。


日中の2人組で作業しながら交流


以前植えた木は定着

2月に筑波の国立環境研究所に取材に行ったところ、日本にやってくる黄砂の発生源がほぼ確定できたそうです。これまでいわれていた新疆ウイグル自治区のタクラマカン砂漠からは距離がありすぎるのと途中の山脈でさえぎられるため日本にはほとんど来ないのだそうです。80%以上が内モンゴル、中でもモンゴルとの国境線近くから50%が来ているそうです。オルドスからもおよそ10%。植林は私たちの生活にも直接関係しているのです。今、多くの日本企業がCSR(企業の社会的責任)活動の一環で植林活動をしています。すばらしいことだと思います。ただ、植林する場所にはそこに住む人がいます。彼らの生活レベルを向上させないとせっかく生えた芽を隠れて放牧したり、木を盗んで売ったりで結局元に戻ってしまうのです。坂本さんが指摘するのはまさにその部分です。地元の人たちの協力を得られるような植林活動を続けていけばきっと草原は元に戻るでしょう。


歌う児島記者

さて、また恐怖の夜がやってきました。この日も宴会。白酒の一気飲みがヒートアップ。私は今日も偉い人の席に座らされ飲まされます。。次第に酔っ払いが増え、歌い踊る日本人も。そして取材班も指名され歌いました。増田カメラマンは日本人と中国人しかいない場所でなぜか英語の歌を熱唱。北国の春、四季の歌など中国でもおなじみの歌が次々と披露されかなり酔っ払ったところで終了、この日も何とか耐え抜きました。


楽しそう


カントリーロードを歌う増田氏


3人で北国の春を熱唱


すっかり酔っ払い

過酷で心苦しい一日

2008 年 4 月 18 日 金曜日


植林用の苗木 運転手前が見えるのか?


走行距離41万キロ(80万キロのも見ました)

今日は前回のロケハンで車が故障し行けなかった砂漠に囲まれた家へ行くことに。2台のパジェロで砂漠地帯へと向かいます。運転するのは次男と隊長です。走り始めて間もなくナレンファさんが私に、「砂漠はあるけど埋もれそうな家はないよ」といい出しました。「この前あるって言うたやん」という気持ちは抑え(海外ではよくあることです)さてはあまり乗り気でないなと感じたので、金さんに「行きたくなさそうだけど何とかして」とお願いしました。金さんの交渉のおかげでどうにか向かうことに。その先に起きる事態をこの時はまだ知るよしもありませんでした。


砂漠の中にわずかな緑と家が


ここで1人住む牧民


半分土に埋もれ風化した家

30分も進むと“砂漠化”ではなく、本格的な“砂漠”に景色が変わっていきます。パジェロとはいえ細かい砂が積もった砂漠、しかも風のせいで起伏が激しくなっているので登りはタイヤがスリップして何度も停止するなど悪戦苦闘です。運転手もプロではなく免許とって間もない人たち。ここで車が壊れたらどうなるんだろうという恐怖が湧いてきます。それでも1時間半以上走りどうにか見つけました。四方を砂漠に囲まれて飲み込まれそうな家です。見ると防砂林をつくりヤギを飼っているではありませんか。どうやら住人は男性1人のようです。1964年に建てられたという土壁でできた小屋はぼろぼろになって、砂が下から積もってきていました。インタビューを敢行しようとすると、「長い間一人暮らししているので話せなくなっているよ」とナレンファさん。「じゃあ簡単な質問だけでも」と食い下がる私。「ずっと一人ですか?」などここでの生活についてモンゴル語を介して質問しました。ところが、あとで取材班だけでもう一度小屋の中を撮影している時に彼に中国語で話し掛けてみると、きれいな発音の中国語で小屋のできた年や、小屋の土の原料や辺りの以前の様子を答え、「こんなところを撮影してどこで放送するの?」と逆質問してくるではありませんか。話せないどころかいたって普通です。推測ですが今回、ついてくる予定だったオトク旗政府のお役人を振り切ってロケに来ているのでナレンファさんに多少圧力がかかっているのかなと。そう考えるとここに来ることにあまり乗り気でなかったのも頷けます。


湿地に埋まったパジェロ


こうなると抜け出すのは不可能


どうやってもダメでした

ロケが終わりました、帰りは遠回りしてでも砂漠ではない道を帰ることにしました。  一瞬ほっとしたものの今度は湿地帯が。午後2時、しばらく走ったところで私たちが乗っていた2台目が湿地にタイヤをとられストップしてしまいました。降りてみるとタイヤの3分の2が泥の中にうまっていて出ようとすればするほど埋まっていきます。素人では無理と判断し、1台目の無事な車が修理の人を呼びに行きました。といっても人のいない場所です、1時間くらいしてようやく戻ってきました。「大丈夫、大丈夫」その男の力強い一言に救われた気持ちになりましたが、1時間待っても抜け出す気配がありません。そのうち修理の男はみんなが必死で働くのを尻目にサボっています。そして「もう疲れた」と言い残し返ってしまうではないですか!!もう午後5時前、まもなく日が暮れます。そして7時からは植林隊が到着し宴会の撮影が…そこで金さんの英断、ナレンファさんと運転手1人を残して私たちは生き残った車で先に宴会場に行くことになりました。(2人を見捨てる気がしてとても気が引けましたが・・)

そして、午後7時からオトク旗林業局主催の歓迎の宴が始まりました。金さんはなぜか林業局長の通訳をやらされ、坂本さんはモンゴル民歌を熱唱、明日が植林本番ということもあり日中双方ともそれほど羽目をはずしませんでした。おかげで私たちも倒れるほどは飲まされず、無事ホテルへ戻りました。そのホテルの話しですが、今回は林業局が運営する林業賓館というホテルに3日宿泊します。私たちの宿泊費は1泊1人1500円。ただし、従業員はフロントも合わせて2人、風呂場のタオルは濡れて汚れています。おそらく前日に誰かが使ったものがそのまま放置されているのでしょう。お湯は水の出がポタポタという感じなので、手で集めて体にペタペタ塗ります。でもお湯が出るだけましです。そしてここだけではありませんが中国の田舎のホテルはトイレットペーパーが全長1メートルぐらいしかありません。もちろん、盗まれるから最低限の量にしてあるのですが、下痢でもして複数回行ってしまうと「紙がない!」ということになるので私は必ず日本から1ロールもって行くようにしています。

そして、湿地帯に残されたナレンファさんと隊長はどうなったのでしょう?実はあの後夜11時までかかって最後は人を15人集めて車を持ち上げ、乾いた地面まで運んだのだそうです。電気も何もないところで・・泥にまみれながら。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

オトク旗への移動。再びナレンファさんの家へ

2008 年 4 月 17 日 木曜日


坂本さんとナレンファさんの牧場
禁牧期間なので柵の中で飼います


柵から出たがるヤギたち

昨日までの好天から一転、何やら雲行きが怪しい。11時にオトク旗の林業局長と待ち合わせだったので9時半に出発。居心地のよかったウーシン旗の4つ星ホテル(とはいっても1泊3000円くらい)ともおさらばだ、きっとこれから先こんないいところには泊まれないだろう。。ところでチェックアウトのとき、レシートに“賠償費”の項目が。そう、14日夜の児島記者のそそうの清掃費がしっかり100元(1500円)とられていました。さて、ここから北西の方向にあるオトク旗の中心ウラン鎮までは車で1時間半ほど、進むにつれ風が強くなってきました。今回のロケでぜひとも砂嵐を撮りたかったのですが、ようやく途中の道で撮影できました。若干迫力に欠けますがこればっかりは・・・オトク旗につくと運転手のタメちゃんとはお別れです。彼は最後まで増田カメラマンのデジカメをほしがっていました。


ヤギの撮影

坂本さん主催の植林隊は明日の夕方にオトク旗に入ります。坂本さんには1日早くうオトク旗に入ってもらって合流、今後の予定などをチェックしました。そして林業局や植林の村の人たちと昼食です。林業局の包局長の「昼なのでお酒はなしで」という挨拶で始まった昼食でしたが、いつの間にやら白酒が振舞われています。今回は仕事を理由に何とかほどほどにかわしました。坂本さんが今日は林業局長と一緒に過ごすとのことだったので取材班だけでスージー村のナレンファさんの家に行くことに。ウラン鎮からガタガタの砂漠道を走ること1時間半、ナレンファさんの家に到着です。前回と特に変わった様子はありませんが、禁牧期間に入ったので羊やヤギはすべて狭い柵の中で飼われています。さっそくエサやりを撮影、ナレンファさんのところはカシミヤヤギが主たる収入源です。カシミヤを知っていてもヤギのどの部分のどういう毛か知らない人も多いと思います。私も知りませんでした。ナレンファさんが実際にとってみせてくれました。ぜひ番組でご覧ください。カシミヤ製品を見る目が変わると思いますよ。

中国政府の政策でヤギの数も半減させられ、囲いの中で育てるための飼料代も増えているなか、ナレンファさんは独学で人工授精の資格を獲得し自宅横の小さな小屋ですべて自分で交配しています。こうした改良で1匹あたりのカシミヤの採取量が3倍になり品質も向上しているため収入はむしろ増えたそうです。取材ではこの人工授精の部屋も見せてもらいました。交配が行われるのは10月なので残念。坂本さんは約450万円を投資してオスの種ヤギを提供しています。第一回の交配で生まれた子供たちがたくさんいました。1年後にはカシミヤが採れるそうです。この品質がどうなるかが大きく収入を左右します。ちなみに去年買った種ヤギは1匹で30~60万円もします。病気で死んだりしたら大変です。


食堂のご主人と奥さん

今晩はロケハンの時に続きナレンファさんの家に泊めてもらうことに。夜は近くの共同食堂みたいなところで夕食です。ナレンファさんとこの前結婚した次男、村の隊長が参加しての食事会です。やはり出てきました白酒。ふと見るとすごく大きな銀の碗が、聞くとこの村に100年伝わる伝統の碗なのだとか。どんな碗で飲んでもきついのは同じですが、貫禄ある碗で飲むのは少しだけ得した気分になりました。次男は全く飲めないようです。(この辺りの人で酒が飲めなかったらどうするんだろうと余計な心配をしてしまいます。)料理はみんなが大好きなモンゴルの肉じゃがとも言うべき「ホイツァイ」これが本当においしくて私はいつもご飯を食べすぎてしまうのです。食べ終わるとやはり9時には就寝、年の順に部屋で3人、ソファーで2人が寝ました。


村に100年伝わる伝統の碗


伝統の碗で飲んでも白酒はきつい!