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番組内容 ニュース スポット映像 もうひとつの歴史
「京都・中国・アメリカ 龍安寺石庭の謎を追う!」
◎プロローグ
 「地もなく、遣水もなき所に、石をたつる事あり。これを枯れ水となづく」龍安寺石庭、枯山水。禅宗の美を極めた75坪ほどのこの空間は、見る者に謎を投げかける。エリザベス女王さえもうならせたことが、その名を世界に広めるきっかけとなった。西洋人と日本人の美意識の違い。西洋人が求める美とは、ギリシャ芸術に代表されるような「完全なる美」。黄金律などを駆使して、完全な人間の姿や建築美を捜し求める。一方、日本人が求めるものは「不完全なるもの」。いびつに曲がった楽茶碗や雪舟に代表される水墨画などに、はかなさと美しさを感じてきたのである。なぜ、「不完全なるもの」に日本人は美を感じるのか。

◎龍安寺石庭に配置された、15個の石の謎とは。
 石庭の15個の石と周りに広がる白砂。何の変哲もない庭であるが、さまざまな謎を問いかけている。中でも有名なのが、どこから見ても石が14個にしか見えないこと。左、右に埋まっている石が、角度によって見えなくなるのである。石庭をのぞむ「方丈」と呼ばれる建物の裏にヒントがあった。そこには「つくばい」という手水鉢があり、書かれているのは「我ただ足ることを知る」という文字。ここで心のチリアカを落としてまっさらな心で庭を眺めると、意味するものが見えるのである。また、15という数字は月の満ち欠けからきたもので、東洋では完璧という意味を持つ。満月は十五夜だが、石庭の石はひとつ足りない14。このこととつくばいが教えているのは、自分の欠点を知り、試練と立ち向かう力を身につけ、常に満足する心を忘れてはならないという、禅にも通じる心構えである。

◎龍安寺にあった71枚の襖絵の、数奇な運命。
 15個の石が見渡せる唯一の場所、方丈。昔から、住職や長老の居室とされていたこの場所に、ひとつだけ新しいものがある。それは、韓国の金剛山と竜が描かれた襖絵。昭和20年代に皐月鶴翁氏によって描かれたものであるが、それまでは別の襖絵があった。なぜ、それは忽然と姿を消したのか。龍安寺は室町幕府の管領も務めた細川勝元によって建てられたが、当時から名刹として名を馳せ、豊臣秀吉にも愛された。しかし、突然大火によって焼失し、難を逃れたのは方丈と襖絵だけだった。明治に入り、古い因習を絶つための徹底した廃仏運動により、龍安寺の敷地は国に接収され、方丈は学校の教室として使われたのである。困窮に陥った龍安寺が下した苦渋の選択は、残った襖絵の売却だった。芸術絵画とも称された襖絵を手に入れた人物は、九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門。当時彼は、妻である歌人・伊藤白蓮の逃避行でも世間を騒がせていた。伊藤が白蓮と短い結婚生活を送っていた邸宅には、現在龍安寺の襖絵は見当たらない。大阪城築城350年を記念した式典で、伊藤は襖絵を公開したが、その写真には狩野派と思われる豪快で勇壮な筆致で描かれた姿が写っていた。しかし、戦後間もなく伊藤の死去とともに、襖絵も忽然と姿を消した。狩野派の画家・孝信によって描かれたと言われている71枚の襖絵は、どこにあるのだろうか。

◎現世と来世を結びつける、門としての石。
 龍安寺石庭の石は、百万回も無作為に置いて初めてできる最高の配置になっている。完璧なまでに計算され埋められたこの石には、どんな意味があるのか。その答えは、中国名庭のひとつ、獅子林にある。中国では、石の隙間から見える風景を来世、極楽として崇められており、中国の人々は、現世と来世をつなぐ門として石を見ている。また、石とは地球の骨であり、それを縦に「積む」ことで、極楽への道しるべを庭に求めた。日本の場合、「積む」のではなく「組む」という発想だったが、龍安寺の石庭にどう通じるのだろうか。元来、日本にはよろずの神を祀るという思想があり、自然のありのままを表現することが重要であった。この庭の石は、意図して配置したと感じられないことが自然そのもの。今では木々が茂り何も見えないが、当初は細川勝元の祖先である源氏の氏神、岩清水八幡宮のある男山が見渡せたという。まさに極楽とも呼べる風景。この石は、方丈から見える現世と向こうに見える極楽のような景色をつなぐ、門の役目を担っていたのかもしれない。

◎雪舟の美意識を色濃く反映した、枯山水。
 枯山水と言われる、樹木を一切使わない簡素な造りの石庭と、豪華絢爛を極めた狩野派の襖絵。両極端とも言える両者に、多大な影響を与えた人物がいた。日本水墨画の頂点を極めた、雪舟。彼の美の原点は中国だった。修行のために、当時の明へと渡った雪舟は、そこで墨の黒を描くことで広がる白の世界と出会う。空白とのバランスで引き立つ美しさ、それは黒味を帯びた石と白砂だけで表現された石庭の美と相通じるものだった。実は、当時雪舟は、庭師としても名を知られていた。枯山水の庭の心は、水墨画とも共通しており、それと同時に庭造りにも心を傾けていたのだという。そして、雪舟から多大な影響を受けたと言われている、子建。枯山水の庭で有名な西芳寺・苔寺の住職であり、水墨画も雪舟から学んだと言われているが、この子建が龍安寺の石庭を造ったという説がある。その説はまだ推論の域を出ていないが、そこには雪舟が描いた美の世界が色濃く反映されている。

◎いま、歴史を超えて蘇る、豪華絢爛幻の襖絵。
 龍安寺、幻の71枚の襖絵。その何枚かは、ニューヨークとシアトルの美術館で大切に保管されていた。また、京都の古物商からイギリス人画商の手に渡った16枚の襖絵は、東京の倉庫でひっそりと眠っていた。残る数枚の襖絵の消息はつかめないままであるが、その復元を行ったところ、豪華絢爛で鮮やかな色使いが見事に蘇った。

◎エピローグ
 「不完全を超越した自然ありのままの完全なる美」。龍安寺の石庭は、見るものに「己の心」を見出させる場所。この庭の白砂は、早朝学僧が引くが、雑念が入るとなぜか線は曲がると言う。龍安寺にとって、この庭は修行の場である。心に濁りがあってはならぬ。おごれる者、高ぶる者、汚れる者、気取れる者、それらすべての者は、この石庭の美を保つことはできぬ。龍安寺、暗黙の鉄則である。「贅沢な好みに片寄るを排し、足らざるに足るを知るを良しとすべし」龍安寺石庭は、今もその美しさとともに私たちに問いかけている。






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