2008年12月31日(水)ひる12:00〜13:25
京都もうひとつの歴史 光と影に秘められた 王都 平安京の謎 今、陰陽道の刻印を解く


番組内容
2008年12月31日(水)ひる12:00〜13:25

京都もうひとつの歴史
光と影に秘められた 王都 平安京の謎 今、陰陽道の刻印を解く

【ナビゲーター】檀れい、斉木しげる
【ナレーター】高橋英樹

1200年以上もの歴史を持つ日本の古都・京都。その京都の名前にある「京」も「都」も元来は「王都」を意味する言葉だった。「王都」として君臨し続ける街・京都は、いつの時代も多くの人々を引き付ける。それは、ただ単に数多くの神社・仏閣があるからではない。日本古来から連綿と受け継がれる「思想」があるからではないか。しかも、その思想は複数存在しているという。
ナビゲーター檀れいは、まず京都の船岡山に降り立った。船岡山とは、平安京造営に際し、基点となった場所。山頂を基準に、南北に朱雀大路が造られ、大極殿もこのライン上に建てられた。そこで注目するのが、「四神相応」という思想。北の玄武、南の朱雀、西の白虎、東の青龍。平安京に当てはめると、北の船岡山、南の巨椋池、西の西陰道、東の鴨川となる。檀れいは、桓武天皇が何を思い、何を目指したのか考えた。

そして檀れいは、斉木とともに上賀茂神社へ。北の玄武を守るために造られた神社だ。ここに、さらなる思想のひとつが隠されていた。上賀茂神社を守る賀茂家は、天文学・暦学を極めて朝廷に仕えた家柄。その弟子にあたる人物がいる。あの「陰陽師・安倍晴明」だ。晴明は陰陽道を駆使し、式神を自在に操り、天変地異までを予知したと言う。また安倍晴明は、陰陽師としてだけではなく様々な役職に就いたと記録されている。朝廷に仕え重要な判断を下す役割を担った、安倍晴明が司る「陰陽道」とはどのようなものだったのか?その謎を探るべく中国へ。そしてそこには、京都と密接な関係が存在していた。
  さらに、安倍晴明より遡ること120年ほど前に、ここ平安京で活躍したもうひとりの人物がいる。閻魔大王の使いといわれた人物、小野篁(おのの たかむら)だ。遣隋使であった小野妹子の血を継ぐ名門の家系に生まれた篁は、夜ごと冥土へと通っていたと言う。その冥土への入り口があった「井戸」は、今もなお、京都の東山界隈にあると聞き、斉木はその入り口へ檀れいを案内する。そして、彼女が発した言葉とは?
さらにナビゲーター2人が、怨霊に対抗するさらなる思想を見つけ出す。それが今もなお京都に残された思想「鬼門」という考え方である。当時の京都では北東の方角を「鬼門」といい、魔性の者たちが出入りする不吉な方角とされた。

「災いをさる」という言葉から生まるこの鬼門除けは、京都御所の北東の角にある猿から始まり、その延長線上に猿ラインが作られ、平安京の鬼門を幾重にも守っているのである。
まだコレだけではない。京都の街と切り離せない「水」と「火」への信仰思想。斉木は、ひとり京都市内のとある銭湯を訪ねた。そこに一体何が隠されているのか?

 

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